8月も終わり残暑が残る今日この頃。
今年の夏はあまり夏らしいこともせず
ただただ過ぎ去ってしまった。
夏の思い出づくりに何かしたいと思い立った僕は
戸塚の神話スポットを巡ることにした。
ネットや人のうわさを頼りに、
戸塚の住宅街のど真ん中にあるという
「首洗い井戸」というなんとも不気味な響きだ。
さっそくiPhoneのGoogleマップで検索し、
ひとり取材に行くことに。怖いので、真っ昼間に。
それは住宅に囲まれた三叉路に突然ひっそりと現れた。
石碑にははっきりと「首洗井戸」と書かれている。
この首洗井戸には一体どんな説があるのだろうかと気になり調べてみると、
そこには、なんとも悲しい動乱の物語があった。
動乱の悲劇を伝える首洗い井戸
“後醍醐天皇の第一皇子護良(もりなが)親王は武に優れ、征夷大将軍として父の建武新政権を支えました。
ところが、南北朝動乱のさなか捕らえられ、
建武二年(1335年)幽閉先の鎌倉二階堂(現在の鎌倉宮)で足利氏方の手によって暗殺されました。
親王の首を奪い取った側近は、山の道なき道を伝い、
皇子救出のため柏尾で待つ仲間のもとへ逃れる途中、この井戸で首を洗い清めたと伝えられています。
この付近の字名は「よつぐひ」といい、
側近が鎌倉から山を四つ越えて逃走したルート「よつごえ」からきたという説と、
親王の首を清める際、井戸に四本の杭を打ち祭壇としたためという説があります。”
動乱の世でなければ、異郷の地で非業の死を遂げることもなかったであろう親王。
その無念の霊は、近くの王子神社に祭られているという。
井戸も発見。
人が井戸の中に落ちないように蓋をされているのか
それとも、井戸から何かが出て来れないように蓋をされているのか
近づいて中をみてみることにしよう。
やはり井戸というと“リング”の貞子を連想してしまい気味が悪い。
何か見えてしまったらどうしようと不安が沸き上がる。
中をのぞいてみると
何もありませんでした。
首洗井戸跡は近年整備されたのか
雰囲気がありませんでした。
ただ不思議なことに、この井戸のそばにある杉からは、
何度伐採しても新芽が育つといわれています。
※注意:杉はふつう、新芽が出ることはないらしい。
なのでお祈りして帰りました。